印象派とは
芸術の世界について興味を持つと、必ず一度は通る道として、「印象派」という用語があります。
印象派の絵は人気なので、美術館の展覧会のポスターなどで見たことがある、という人もいるかもしれません。
印象派展のCM
ただ、なんとなく聞いたことはあるものの、印象派がどういったものか、ということを説明するとなると難しいという人もいるのではないでしょうか。
この記事では、印象派の意味について、分かりやすく簡単に、ざっくりと解説したいと思います。
権威vs若い画家
まず、印象派とは、元々君臨していた国家主宰のサロンという美の権威に対抗するために、近代化が進む19世紀後半のフランスで、若い画家たちによって起こった、絵のスタイルに関する一つの流派であり、芸術運動です。
サロン(保守的な権威) vs 印象派(新しい美の価値観を掲げる一部の若い画家たち)
ざっくり言えば、こういった構図があり、今でこそ、世界的にも名画が多く、芸術の世界の偉人とされているモネやルノワール、セザンヌといった印象派の画家たちですが、印象派が始まった当初は、酷い絵だということで相当激しい批判を受けています。
その時代、美しい絵というのは、3次元の世界を遠近法などを用いて2次元の世界に再現し、また、描かれる主題も神話だったり歴史だったりが位が高く、要はそういった崇高な絵が、権威であったサロンにとっての「美しさ」でした。
その「美しさ」と比較したら、この印象派の絵というのは、全く未完成で、未熟で、ちゃんとした絵ではない、と酷評されるわけです。
クロード・ロラン『海港』 1644年
クロード・モネ『印象、日の出』 1872年
こうして比較すると、その違いは一目瞭然だと思います。
だから、この印象派という名称も、そもそもは、完成した絵ではなく単なる印象をさらっと書いているだけじゃないか、という小馬鹿にした評論家の揶揄が、後に印象派という名称の由来となっていきます。
そのため、印象派という名前自体は、「我々が印象派だ」と掲げて立ち上げたものではありませんでした。
ただ、「印象」という言葉は、この若い画家たちが始めた小さな展覧会がきっかけで、この第一回の際に展示したモネの『印象 日の出』というタイトルに使われていた「印象」を、評論家が逆に皮肉として使って、「彼らは印象しか書いてない」といった形で批判したことにまつわるので、全く印象派の画家たちの言葉でない、というわけでもありません。
印象派の画家の中心メンバーとしては、モネの他に、ルノワール、シスレー、ピサロ、ドガ、モリゾ、セザンヌなどがいます。
オーギュスト・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』 1876年
彼らの年齢は、30代前半から40代前半と、完全なる若手というほどではないものの、まだまだ、負けないぞ、戦うぞ、という若さが残る年齢とも言えるでしょう。
印象派の特徴
それでは、印象派の特徴とは、どういった点が挙げられるのでしょうか。
印象派の特徴としては、絵の具を混ぜずにそのまま異なる色を並べるようにして置く「筆触分割」という新しい手法によって、より感覚的に光を再現しようとしたり、チューブ入り絵の具が発明されたことで屋外で描く絵が増えたり、また、先ほども触れたように、感覚を大事に、見たままに描く、といったことなどが挙げられます。
①光の重視(筆触分割)
②屋外制作も多い
③自分の印象を描く
そもそも、なぜ印象派という動きが起こったかと言うと、時代的な背景もあり、その一つとして写真の発明なども関係していると言われています。
この時代には、ちょっと前に写実主義的な風景画も増えてきたものの、写真が発明されることで、言ってみれば写真で撮ったような絵は、写真でいいという話にもなってくるわけで、ただ目の前の現実を「客観的」にそのまま描くのではなく、もう一歩先の主観的な表現に向かう流れもあったと言えるでしょう。
一方で、主観的に、見たままに描くということは、それぞれの個性がいっそう際立つということでもあり、印象派と一括りにしても、必ずしも皆が同じような絵になったわけではありません。
それぞれの違いはあったにせよ、モネやルノワール、シスレーらが、今でも「印象派の画家」として取り上げられることの多い画家たちとなります。
ただ、そのなかでセザンヌに関しては、途中からこの印象派の画風を脱却し、より独自の道を歩んでいくために、芸術史的には、「印象派の後」という意味で、「ポスト印象派」という括りにされています。
このポスト印象派は、印象派の画家たちの影響も受けつつ、その後年の世代でもあり、ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンといった画家が挙げられます。
ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』 1897-1898年
フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』 1889年
ポスト印象派の作品と、印象派の画家たちの作品を見比べると、その違いもまた歴然と言えるでしょう。
マネは印象派ではない
ちなみに、印象派の画家たちに、マネは含まれていません。
マネは、「印象派の父」という形で紹介はされるものの、印象派の「父」であり、「印象派の画家」ではありません。
これは、マネが彼らよりも若干世代も上で、本人としても、権威に逆らって、新しい絵画運動を起こす気持ちはなく、あくまでもその権威のなかで評価され、成功したいという思いがあったからです。
ただし、マネは、その権威を前に、抗うような大胆な絵を出し、激しい批判を受けたこともあり、こういったマネの画風やスタイルが、印象派の画家たちに多大な影響を与えていることから、印象派の父と称されています。
エドゥアール・マネ『バルコニー』 1868-1869年
以上、「印象派」の意味のざっくりとした解説でした。
もし、印象派に関して、もう少し詳しく知りたい場合は、『印象派への招待』などが、入門書としておすすめの一冊です。